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【一友会とは】
●設立
 
 当会は、1977年(昭和52年)江東区において故山口剛玄先生の設立許可を得て設立致しました。その後、剛柔の道を日々精進し多くの指導者が生まれ、空手道を通じて日本の将来を背負う若者を厳しく、そして温かく導いております。

 当会の指導者より学ぶ青少年は、正しい理念に目覚め人としての生き方を追求されることを確信しております。
 
会長
小原 博
名誉会長
野口 正行
     
副 会 長 神田 典明  岡ア 友衛(兼事務局長)
 大嶋 東人  三澤 透
本 部 長 五十嵐 理 
副 本 部 長 伊藤 秋人  中村 尚睦
 山田 敦史  飯塚 光洋
事務局次長 袴田 保和  渋谷 和弘

●流派
剛柔流は四大流派の一つで、宮城長順(明治20〜昭和28年)を流祖とし、沖縄空手の首里手(主として遠距離戦)と那覇手(主として接近戦)の大別 のうち、那覇手に属します。
那覇手の一大流派であった昭霊流(東恩納寛量が著名)を母体として発展してきた、沖縄古参の流派の一つです。
宮城長順は沖縄那覇市内に生まれ、14歳の時より東恩納寛量に師事。 師の命により、明治36年に若干16歳で中国福建省に単身渡航。 福建派の拳法の劉龍公に師事し、拳法を習得し帰国。 後に剛柔流空手を創設しました。
その後、故山口剛玄を中心とし各地へと普及され、「空手に先手なし」 「人に打たれず人打たず」の理念の基、 現在も多くの人々に受け継がれています。 「剛柔流」の名称は、中国古文献の「武備誌」から抜粋されたものです。 その中の拳の八句、 「法剛柔呑吐(法は剛柔を呑吐するとの意味)」の一句に由来しています。
流派紹介

●四大流派の特徴
【剛柔流】 【松濤館】 【糸東流】 【和道流】

流祖・創始者
宮城長順(1888〜1953)
沖縄県那覇市東町に生まれ、東恩納寛量に那覇手を学ぶ。修行のため16歳で中国福建省へ渡り、研鑽を積んだ。宮城は修行と研究の末に独自の呼吸法を作り上げ、また予備運動、基本動作、補助運動、基本型(「撃砕」など)といった体系づけた練習法を確立したことでも知られている。これがやがて「剛柔流」空手道として沖縄県、本土へと普及していった。
 ちなみに剛柔流という名称は、中国の書物『武備誌』の中の「法呑吐剛柔」という言葉にちなんで、1930年につけられた。その5年後の1935年には、大日本武徳会から宮城に「教士」の称号が授与されている。
剛柔流の特徴
 円を描くような滑らかな動作が多い。この動作は接近戦になったとき、相手の技を受け流したり引き込んで利用し、その力を使って反撃する意味をもっている。独特の呼吸法や、「ムチミ」という粘りのある動作も剛柔流の特徴のひとつである。
 型では、攻撃と防御が一体となっており、「剛」の動きと「柔」の動きの組み合わせに、融通無碍(自由自在であること)の技術が集約されている。
剛柔流の全日本空手道連盟指定形
第一指定形・・・サイファ、セーパイ
第二指定形・・・セイサン(十三手)、クルルンファ(久留頓破)
剛柔流の得意形リスト
サンチン、サイファ、セイユンチン、シソーチン、サンセール セイサン、セイパイ、クルルンファ、スーパーリンペイ、テンショー

流祖・創始者
船越義珍(1868〜1957)
1868年、沖縄県首里山川町に生まれ、首里手の大家、糸洲安恒・安里安恒に学ぶ。1922年に上京。文部省主催の第一回体育博覧会で演武、唐手術(空手道の当時の名称)を初めて本土で公開した。東京に留まり、松濤館道場の創設や、大学を中心とした長年の指導で多くの門弟を育てた。1929年、唐手術を「空手道」に改称。1948年には日本空手協会が発足、最高師範に就任した。
松濤二十訓に見られるように、精神修養の重要性を説いた人物でもある。松濤館という名称は船越の雅号「松濤」に由来している。
松濤館の特徴
遠い間合いからの攻撃と、直線的な動きが特徴。深く腰を落とした立ち方から、大きな運足で移動し技を極める動きが多く見られる。
松濤館の全日本空手道連盟指定形
第一指定形・・・ジオン、カンクウダイ
第二指定形・・・エンピ(燕飛)、カンクウショウ(観空小)
松濤館の得意形リスト
バッサイ大、バッサイ小、観空大、観空小、テッキ初段、テッキ2段、テッキ3段、半月、ジッテ、エンピ 岩鶴、ジオン、ソーチン、二十四歩、五十四歩大、五十四歩小、チンテ、ウンスー、明鏡、ワンカン、ジイン

流祖・創始者
摩文仁賢和(1889〜1952)
摩文仁賢和は、1889年11月14日沖縄県首里市で生誕。13歳の時、首里手の大家・糸洲安恒のもとに入門。19才の時に宮城長順の紹介により、那覇手の祖である東恩納寛量に教えを受けた。
 1934年、大阪に空手道場『養秀館』を開設。これを期に、糸洲の“糸”と東恩納の“東”をとって糸東流と名乗り、開祖となる。摩文仁賢和、45歳の時である。
糸東流の特徴
研究熱心な摩文仁賢和は糸洲安恒、東恩納寛量の二人の師に就いた後も、両派以外に松村派、新垣派などの各派も修め、空手以外でも琉球古武術の棒術、釵術、添石流棒術などを学んだ。このため、首里手・那覇手を中心に幅広い技術体系が確立されている流派であり、他の流派と比べても形の種類が多い。
特徴として、形という基本を守りながら、その内容を研究・応用し、組手と結び付けていくことにより作り上げられた分解組手として練習している。また、精神教育に重きを置いた摩文仁は「君子の拳」(世を保つ国の守りのなる人の 心に兵法 つかわぬはな)を唱導し、人格の形成・向上を目指した指導を行い、現在も師の志を多くの弟子たちが継承している。
糸東流の全日本空手道連盟指定形
第一指定形・・・バッサイダイ、セイエンチン
第二指定形・・・マツムラローハイ(松村ローハイ)、ニーパイポ(二十八歩)
糸東流の得意形リスト
ジッテ、ジオン、ジイン、松風、ワンシュー、ローハイ、バッサイ大、バッサイ小、トマリバッサイ、松村バッサイ コソークン大、コソークン小、コソークンシホ、チントー、チンテ、セイエンチン、ソーチン、ニーセイシ、五十四歩 ウンシュー、セイセン、ナイファンチン初段、ナイファンチン2段、ナイファンチン3段、アオヤギ(セイリュウ)、ジューロク ニーパイポ、サンチン、テンショー、セイパイ、サンセイル、サイファ、シソーチン、クルルンファ、スーパーリンペイ ハクチョー、パチュー、ヘイク、パイク、アーナン、アーナンコー、パプレン、チャタンヤラ・クーシャンクー

流祖・創始者
大塚博紀(1892〜1982)
大塚博紀は、1899年6月1日茨城県下館市で生誕。5歳の時、江橋長次郎から為我流柔術の手ほどきを受ける。そして13歳の時、中山辰三郎のもとで神道揚心流柔術を学んだ。1922年、大塚は船越義珍(富名腰義珍)を訪ね空手の修行を始め、その後も1928年、摩文仁賢和に、翌年には本部朝基にも師事した。
1934年、東京都神田区に大日本空手道振興倶楽部という道場を開設。後に空手と柔術(古語では和術)を総合した“和”した道ということから、和道流と改名した。
和道流の特徴
大塚博紀が柔術(神道揚心流)を学んでいた影響から、「流す」「乗る」「往なす」などの体捌きが見られる。相手の攻撃に対し、力をもって力を制するのではなく、体の裁きによって受け流し、攻撃に転ずる。つまり、相手の技を流した動作がすでに攻撃となっている。これは、和道流の起源が柔術を取り込んだものだからである。
武の道は ただあら事と な思ひそ  和の道究め 和を求む道
武の道は和の道である。和の道である武の道を究めて和の道を求むるのが武の道である。武の道の根本理念は全人類の平和と福祉にある。この勝れた武の道は時代がどうかわろうともその発祥当初過去にそうであったように現在も勿論未来永劫決して変わることなき一定不偏の真理を包蔵しているのである。
和道流の全日本空手道連盟指定形
第一指定形・・・セイシャン、チントー
第二指定形・・・クーシャンクー、ニーセイシー
和道流の得意形リスト
クーシャンクー、ナイハンチ、セイシャン、チントー、バッサイ ニーセイシ、ローハイ、ワンシュー、ジオン、ジッテ

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